超憧れるけどありえないファンタジー、映画「南極料理人」

南極料理人 [DVD]

南極料理人 [DVD]

私は学生の頃、こういう感じの人がうらやましくてならなかった。
この映画の主人公の「西村淳」みたいな人が、である。

私が観て感じた、主人公の「西村淳」の印象は…
ちょっととぼけた感じで、集団の力関係からは一線おいたところで飄々としている、かのように見える。
一線おいてると言っても「浮いている」のとは違う。あくまで仲良く溶け込んでいる。
料理の腕はすごいようだ。つまり集団において求められる能力は優れている。
なにかというと「西村くん、西村くん」と頼りにされ(まあ頼られるのはメシ限定だけど)、なかなか言えない秘密やホンネを打ち明けられたりする。
他の人たちは(メシを巡って)いろいろアツレキを起こしたり泣き言を言ったりするのだけど、彼はそんな皆をなだめたり悩みを解決してあげる役回りで、本人はけしてトラブルを起こさない。
大切なお守りをなくしたりとトラブルに巻き込まれることはあるが、それも「他のメンバー同士の喧嘩」を仲裁したからで、いわばとばっちりである。

皆がわあわあ好きなこと言ってて暴走しかけたときに、ちょっとだけ軌道修正するようなことを言ったりしたりするフォロー役。
お山の大将的なリーダー格でもなく、リーダーの腰ぎんちゃくでもなく、かといってすごい人気者!というのとも違う。勿論、みんなに嫌われていたり、居ないかのごとく無視されていたりするわけではない。他人とアツレキを起こすようなアクの強さではなく、みんなをなごませるような癒し系。
この絶妙なポジションと雰囲気。私が、つねに人とアツレキを起こしてばっかりだった学生のころ、「こういうふうになりたい」と憧れてやまないタイプであった。
自分自身がそういう人にとてもとてもなりたかったし、そういう風に<見える>男性が居るとあっさり惚れた。


でも、今になって考えると、現実にはこんな人いないと思う。
この映画には原作があるが、きっと著者である本物の西村氏は(想像だけど)それなりにアクが強くて、他の人とぶつかることもあり、他の人を頼ることもあり、もしかしたら場の雰囲気をブチ壊すことだってあるかもしれない。
映画の「西村淳」はあくまで映画の主人公だから、集団のドタバタをうまく描写するために、彼は悪者(というほどではないが)に回らずに客観的視点で見てるかのような立ち位置になっているだけだろう。
フィクションの世界にしか存在しないファンタジーなのである。
現実には、ぱっと見にはそういう「集団において客観的視点を持ちつつ、メンバー全員とうまくやってる」ように見える人は、よくよく付き合ってみると「人懐っこくはあるがアツレキを避けるために見えない壁を作っており、他の人と本音トークをするほど親しくならない」だったり、「みんなに頼られるがために、意外とリーダー格の人とはしっくりいってない」だったりする。
結局、

「集団の中で角を立てずうまくやる」
「リーダー格に目をつけられない」
「メンバーと深く親しくなる」
「自分のしたいようにやる」

これらすべてを思うように実現できる人はなかなかおらず、みんなどれを優先するのか、場面によっていろいろ折り合いを付けながら生きているのだろう。


そんなわけでこの映画は「ワタシ的に、<ありえないけど超あこがれるファンタジー>」なのであった。
もっとも、フィクションでは上記に書いたようなキャラクターは他にもいるかもしれない。
実はもう一つ、この映画の主人公が、ワタシ的に超あこがれてウラヤマシイ理由があるのだ。
主人公を演じているのが、堺雅人なのである。
この人、一年くらい前になんとなくTVを見ていたら「ひまわりと子犬の7日間」の映画の宣伝のためにインタビューに応じていた。

ひまわりと子犬の7日間 [DVD]

ひまわりと子犬の7日間 [DVD]

そのときの堺さんのキャッチコピーが「微笑みで喜怒哀楽を表現する男」。
で、「自分の顔は基本的に笑い顔に見えるので怖い顔にならず、鏡で一生懸命『怖い顔』の練習をした」と話すのである。(うろ覚えなので若干違ってたらゴメンナサイ)
ワタシはそれを聞いて「なんてうらやましい人だろう」と思った。
そりゃ役者さんだから「怖い顔ができない」のは不利であろう。しかしデフォルトが笑い顔で、怖い顔ができないなんて…。
(その後「半沢直樹」「リーガルハイ」などのヒットで、「笑い顔の怖い顔」で活躍されているようだ)
デフォルトが不機嫌顔で、ながらく人様から「怖い顔してる」「なんか疲れてる」と言われ続けた私からしたらうらやましくてならない。
私もデフォルトで笑い顔になりたい!!

そういうわけで、キャラといい演じる役者さんといい「主人公に超あこがれるの2乗」な映画であった。